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津軽鉄道沿線の旅レポート その4。(完)

津軽鉄道沿線の旅レポート その3。からの続きです。

 

 【前回までの旅のあらすじ】

ストーブ列車に乗り、スルメと日本酒と人情に酔う。

のち、十三湖の旨みたっぷり寒しじみに舌鼓!

中泊町にて、冬アスパラの収穫体験。

 

「津軽鉄道沿線食の旅

ストーブ列車で行く 冬の美味しい体験ツアー」 

お待たせしました。いよいよ旅もクライマックスです。

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アスパラ収穫のあと、30分ほど中里観光バスに揺られて、

再び五所川原市へ。「立佞武多の館」に到着!

 

外から見ても、一際目立つ建物。

この中には、夏お祭りで使用する「立佞武多(たちねぷた)」が

そのまま収納されています。

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エントランスに入ると、いきなりミニサイズの立佞武多がお出迎え。

 

入ってすぐにご案内されたのが、「つくね芋」の試食でした。

 

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これも特産品の一つ。長芋の5倍(!)も粘りがあるので、

成分的にも健康に良く、食欲が無いときでも、つるるんと入ってしまう美味しさ。

(ここまでの道中、食べまくりだったのに、ペロリと完食したのが証拠です)

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お味は、というと。粘りの凄さはもちろんのこと、お芋自体の甘みが、ものスゴイ!

口当たりが、こっくりしていて美味!おかわりした人もいました。

横に添えられた漬物

「つくね芋と人参の味噌ヨーグルト漬」も、やさしい味わいでした。

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つくね芋は、こんな形。その場で1個200円で販売されました。

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男性の拳よりも3まわり増ぐらいの、ゴロン!とした丸いお芋なのです。

 

重たいのを承知で、何個も買い込んでいた方もいました。

後でお土産として貰った方は、さぞ喜んだことでしょうね!

そのくらい、存在感があり、ズッシリ手ごたえがあります。

 

続いて、お待ちかね

お腹が落ち着いた頃に、館内の見学がスタート。

 

「写真OK」だったので、遠慮なく、たくさん写しちゃいました。 

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とにかく、見上げるほどの大きさ。

この迫力!デカーイ!およそ23メートルあります。(6階建てのビルに相当) 

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見えるかな?上記の写真の、左側に小さく人が映っています。

これで立佞武多の大きさが、なんとなくわかっていただけるかと思います。

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ここで、津軽鉄道 営業グループリーダーの菊池さんお話してくれた

「歴史の上で、一度廃れた立佞武多が、なぜ復活できたのか?」という話。

 

五所川原は豪商が多かった土地で、豪華絢爛な立佞武多が作られた、

というのはレポートその2。で少し紹介しました。

もっとも繁栄していたのは明治時代のこと。

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(上の表示には「ねぶた・ねぷた」の語源説が書いてあります。

クリックすると画像拡大)

 

その後、なぜ廃れてしまったのか?

諸説あるようですが、バスの中で聞いた理由は「電線」。

 

街の発展とともに電気が普及。

電線のある道が通れなくなるので、

立佞武多はどんどん低く、小さくなっていきました。

 

もちろん、作るのにも膨大な費用がかかるので、

景気が悪くなるとともに、どんどん規模が縮小。

それで廃止に追い込まれた、というわけです。

30 tatineputa1.JPG

(ちなみに現在でも、1台つくる費用は2400万円、とのこと!

リサイクル利用できる材料を上手く使って、

今は半額の1200万円程度に抑えられているそうです。)

 

そんな昔の記憶が忘れ去られた頃。

五所川原の人々の手によって、蘇ります。

 

1996年、当時の写真や図面が出てきて、

それを見た有志の方々が製作しようと団結しました。

 

もちろん、これだけ大きな物なので、作っているだけでも

周囲の方々がどんどん集まり、みんなの希望が膨らみました。

お祭りは大盛上がり。

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(上の写真、館内の上階には、シアターの見られるスペースがあります)

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マスコミや口コミが広がることによって

全国的にも有名なお祭りになり、完全復活した、というのが

この五所川原の「立佞武多」なのだそうです。

30 okurie.JPG

(送り絵という、立佞武多が去った時に見られる、後ろ側の画。)

 

お祭りには、3台が必ず出ます。

1年につき1台、新しいものを製作。

つまり、1台の任期は3年、ということですね。

 

昔は、竹の枠を組んで和紙をはり、光はロウソクの炎、という形だった立佞武多も

今は、針金と丈夫な和紙、電球の光で組み立てています。

他の地域に見せたい、という時もバラせて

持っていけるような仕組みになっています。

  

今、製作所には、若い方や女性の職人さんもいて

立佞武多の未来はしっかりと守られております。

 

で。

「こんなに大きなもの、どこでどうやって作るの?」と思っちゃいますが。

その製作現場も館内で見学できるようになっています。

 

見てみたい?

では「続き」以降にレポートしまーす。

 

 

 

 

 

建物の6階に、製作所があります。

お邪魔した時間は夕方4時半を過ぎていましたが、今年の新作を製作している最中でした。

31 seisakujo.JPG seisaku.JPG

立佞武多の基礎ですが。

中に、重厚な芯(鉄骨)が入っていて重心が下方に保たれています。

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(製作所に行く前、館内の展示にミニチュアがあり

中身が説明されていました。)

 

ちなみに、今年の新作は、下記のデザイン!

東日本大震災の復興祈願を込めています。(クリックで画像拡大)

31 dezain.JPG

枠組みとなる、針金は3種類。

一番太い、下の写真のものが主に使われています。

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「ふ・・・太い!」

これを手で曲げられないと、製作のスタッフ・職人にはなれないそうです。 

怪力のワタクシも、さすがに曲げられず。 ・・・って、いやいや。そう簡単には無理です。

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1台につき、8ブロックぐらいに分けて製作。

なんと、デザイン画はあるものの、設計図は無し、とのこと(驚)!

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絵をみて感覚で作り、上下段の接続の部分は、その都度調整するんだそうです。

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(針金の接続部分。丁寧な仕事です)

 

いろいろな工程の後、色付けですが、

白い部分や、色の混ざって欲しくないところなどに「蝋入れ」 をして

輪郭などを描きます。(下の写真参考)

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色付け前の段階が下の写真。

目の白い部分や歯など、蝋入れされている様子わかりますか?

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色付けの後、十分に乾かして、晴れの日の舞台を踏むわけです。

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この館の展示を見てしまったが最後、虜ですね。

「本当のお祭りを見に来なければ!」

「来なければ!」という熱い気持ちにさせてくれる展示の数々でした。 

 

その後、は

バスの中で、モニターツアーのアンケートに回答、

函館からの参加者は新青森駅で解散して帰ってきました。

 

 

 

ツアー全体の感想は、というと!

 

1日たっぷり遊んだー!という感覚です。

案内をしてくれる方々をはじめ、出会った地元の方などが

ほのぼのとして温かく、心も満たしてくれました。楽しかったです!

 

今後を考えるとすると、

もっとお酒を飲みたい、という方や

ゆっくりお土産も買いたい、という方のために

1泊2日の旅にしても、函館からは行きやすいんじゃないかな?と思っています。

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(立佞武多の館で発見。津軽弁っていいねー)

 

なにはともあれ、

行く先々で「歓迎!」の看板や、見送りのための手作りフラップを持っていたりして・・・(嬉)

おもてなし心あふれる、満腹・満足のステキな旅でした。

 

お世話になった皆さま、

本当に本当に、ありがとうございました!

 

 

 

レポートを最初から見たい方は、下をクリックどうぞ!

その1。

その2。

その3。 

 

 

 

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